出版できる人 VS 出版できない人

    執筆に関わらずクリエーターの仕事というのは主観の塊が
    爆発して創作できる仕事だと思います。だから、誰だって作品
    を完成させたとき、仕事を終えたときは、私はなんと天才なの
    だろう、これは世界を震撼させる作品だ仕事だと感嘆すると
    思います。


    創作というのは、そういう仕事だと思います。


    ところが、プロは髪の毛が1本多く生えているようです。
    その1本とは客観性です。主観のお化けのような仕事をする
    ものの、その自分を見る自分、または他人が自分を見る目を
    もっています。


    創作の仕事を評価するのは自分ではありません。
    物を作ったり、物を移動させたり、客観的な評価基準があり
    ますので出来栄えは自分で評価できますし、熟練者は常に
    正しい評価を出してくれます。ところが、創作の仕事は芸能
    に似てます。評価するのは大衆なのです。技術については
    熟練者は評価できますが、人気が出るのか、人々の愛される
    のかを評価するのは大衆なのです。


    プロはその大衆の目を持つ人です。

    
    私たちは毎日インターネットを使って出版希望者を探しています。
    さらに、その中から出版できる人を探し出すのが仕事です。
    最終的には提携する出版社と協議して出版できるのかどうかを
    決定します。私たちは最大限の努力と注意を払い人気が出る
    著者を探すのですが、最終的な決定者は出版後に評価を下す
    大衆なのです。


    そのために出版審査を行います。
    出版したい人は実に大勢います。そして、最近、出版したい人が
    急激に増えているのが事実です。ところが出版できる人、すな
    わち出版社が投資できると認められる人は、ごく一部なのです。
    この単純明快な事実というか理屈を理解できない主観のお化け
    が驚くほど大量に出現しています。


    問い合わせや出版相談があれば、出版審査の案内をメールで
    お伝えします。常識的に考えてみてください、その案内どおりに
    していただければ審査しますよといった手続きですよ、なぜ、
    このようなことをしなければいけないのか、御社の事業姿勢は
    何なのだ、この意味が不明なので納得できるように説明しろ、
    云々とまるでいいかがリをつける悪徳ライターが実に大量発生
    しています。


    私たちは手続きにご不満なら審査を控えさせていただきます。
    また、審査の途中でも真摯な態度が見られないとか出版の
    見込みがないと判明した場合は審査を終了させていただき
    ますとまでご注意を促しています。無料で審査させていただく
    ビジネスですから見込みない場合は私たちの判断で終了します
    と案内しているのですが、悪徳ライターたちは、つけこんできます。
    意味が不明なのだ、納得できないのだ・・・。


    広告ですから、「出版しませんか? 出版社に紹介させていた
    だきませんか・・・」などといった文言を使用しています。これは
    広告ですよ。今日、これを誇大広告だと指摘する常識人は
    いません。だからこそ、問い合わせについては、私たちの
    システムをご紹介し、出版審査から始まりますと明快に説明
    させていただいてます。


    ところが、最後には出版させてくれといってきた話しは何なんだ、
    詐欺なんだろう、悪徳商法だと騒ぎ出すのが悪徳ライターもし
    くはその予備軍なのです。最初にメールを送ってきたのは誰
    なんだ、最後まで責任を取れと迫るのは、メールを送ってきた
    のだから無料で出版しろと脅迫をしているのとかわりません。


    これらの原点は、髪の毛が一本多いか少ないかの差です。
    つまり自己客観性があるのか、ないのか、この違いです。
    冷静に客観的になれば、広告は広告だと理解できるでしょうし、
    また、審査の手続きを無視して審査しろともいえないでしょうし、
    審査されているのに対応が失礼だ高圧的だなどと前後不覚な
    迷言もでてこないと思います。