出版についての重大な誤解

出版の形態について誤解されている方は、その誤解が原因で出版社との
コミュニケーションに問題を起こし、せっかくのチャンスを失ってしまう
例が後を絶ちません。たいへんに口惜しい残念なことだと思います。


その端的な例として、たとえば自費出版で費用をすべて著者が負担するなら、
著者の自由に著者の思う通りに出版できて当然という考えです。


印刷屋はお客様が印刷費用をすべて負担します。
その代わり、お客様が指定するとおりに印刷して、製本します。
ところが、出版社という世間に不可解な存在というのは、仮に著者が印刷製本
の費用を提供するからといって高ぶってみても、まるで相手にしてくれません。
それは、出版に関する費用をすべて負担すると意気込んでもなおさら塩を
まかれて追い返されてしまいます。


出版社は、ビジネスリスクである費用の負担などを誰がどのようにするかに
問題なく、常に、星の数ほどあるそれぞれの出版社固有の価値判断やビジネス
基準に合格しないと絶対に原稿を出版してくれません。


私も業界の一員なので、あまり多くは語れませんが、結局、出版するには出版
社がOKを出さないと一冊の本も書店に並ばないというのが業界の常識なのです。
印刷屋に印刷製本を依頼してもそれは依頼主のプライベートな行為です。
ですから、印刷屋は依頼通りに印刷製本することに社会的な責任を負担しま
せんから依頼通りに印刷製本してくれます。


ところが出版するということは出版社が社会的責任を負うという行為なのです。
実際に大手の出版社が売上を倍増するにしたがって裁判の担当者が増えると
いうのが事実です。出版された情報の社会的な責任を出版社が負うのです。
それは盗作とか盗用の問題から、公開された情報により第三者の権利が不当に
侵害されるなどという問題まで多種多岐に広がっています。
この問題があるから出版社という社会的な地位が保たれているのです。


また、夢見るライターの大きな誤解は出版物の所有者が著者だといった勘違い
です。原稿は著者のものです。この権利は万国著作権法により世界的に保護され
ています。
さて、その原稿を商品化するのが出版社です。
商品化された書籍は出版社の所有物なのです。
この出版社の権利も世界的に保護されています。むしろ、昨今は、この権利
強化という風潮がでています。
たとえば特許と商品に似た関係かもしれません。
ある工場が特許権者に許諾を得て特許料支払い等の契約を交わし製造して商品
を販売します。この商品は特許権者の所有物でしょうか?


一方で、それならということで著者が原稿を印刷屋に依頼して印刷製本できた
書籍を書店に持ち込んでも相手にされません。
それではと出版社を設立して業界の配本ルート(書店へ配本してくれる取次店)
へ取引を申し込んでも丸で相手にされません。
これが日本の出版業界の実態なのです。